舟越直木展

ギャラリーせいほう、2012年7月25日〜8月7日
現代作家個展、ギャラリー個展
鑑賞日:8月6日(月)

その人物を彼/彼女と同定する外見上の個性の在処が、その人の存在と結びついているとする。その場合、その個性は外見の特徴ではなくなる。ある人から外見を取り除き、その存在に個性を見ようとするとき、その外見はどのような形態と取るのか。個性がなくなったとしても外見はある。そして存在のみに個性があるとしても、その存在にも現れがある。そのたまらなく芳しい存在を放つ物体。描くことによって産まれた個性は消さなくてはならない。肉づけされることによって産まれた個性もそぎ落とされなくてはならない。その消しそぎ落とした痕跡が、遺された存在を際立たせる。その紙に同化し、あるいは、塊として転げ落ちそうな存在は、すでにその人物とは乖離しているのではないだろうか。物質として投げ出された存在。それは作品の存在なのか、モデルの存在なのか。さらには、架空の人物の存在なのか。架空の存在が物質として、実在したとき、人はその作品になにをみるのか。その作品に向き合う時、鏡を見るように自分の姿を見ることはない。その異物に含まれる微かな誰かの痕跡を、自らの皮膚の下の組織と重ね合わせ、重力を感じることになる。その重力こそが存在の証というのだろうか。