長谷川 彩織「 迷子の風景 −水槽の花園− 」

KATSUYA SUSUKI GALLERY202334日〜321

現代作家画廊個展

鑑賞日:319日(日)

 

すべての細部が同じ価値を持った世界に入り込んだ時、視覚は喪失する。その機能は保持されているとしても、網膜から先の統合するエリアにおいて情報の混乱が発生する。だから網膜の快楽に委ねるということも考えられるのだが、それは花粉症とたいした違いはないといえるだろう。情報の混乱は、細部を無理に統合しようとするから起こるのであり、統合のルールが見つからないということでもある。では、その統合のルールとは何か。ルールがあるという前提で画面に向かう時、そのルールは過去に属している。その一方で、制作の際にもあるルールが適用されて細部が細部として存在する。細部の存在の方法からルールを導こうとして画面を見つめることになるのだが、しかしそのルールを認識、もしくは読解する必要はあるのだろうか。すべての細部が全体と等価なものとして存在するという事実から始めなければならない。そこには一定のルールがあるのではなく、細部ごとにルールを持って全体とネットワークを結ぶ。