アーバン山水

Kudan house2023310日〜319

現代作家画廊外グループ展

鑑賞日:312日(日)

 

建築はその様式と様式の需要において、土地と時間と深く結びついて、生活の、そして風景の一部となる。それは人の生活の一部として、人の生活をゆっくりと変化させていく。眺めやる対象としてそこにあるかのように考えたとしても、それはもはや見る人の一部となっている。その不可分にして、しかし忘却の彼方へと後退してしまっている風景に、再度没入を促すものがあるとしたら、何か。情報は無いよりあったほうが良いと思えるが、それも比較のうちでしかなく、絶対ではない。内部にもう一つの風景を貫入することで、創造的相対性が生まれるか。かつてその相対性を視覚化するために、非風景が挿入されたこともあったが、その方法が一般化した後では、誰もが想像の非風景を持つこととなった。風景の文節のなかに別の風景を栞のように挟み込むことで、断層を垣間見ることができるが、それはまた捲られた頁の層のなかへと沈んでいく。層のなかで声のない何かが常に蠢いている。その響きに耳を澄ませなければ、次の風景は立ち上がらない。