没後30年 倉俣史朗展

Bunkamura ギャラリー、2021812日〜822

物故デザイナー画廊展示

鑑賞日:815日(日)


記憶を辿っていくと、あの場所で誰となにをしたという出来事において、より現実感を持っているものは、すべて夢のなかの出来事。現実で一回起きたことより、夢のなかで繰り返し見て、あるいは続きを見たもののほうが、自分の内部に浸透している。肉体が体験した現実よりも、その記憶が撚り合わされた、架空のといって良いのだろうか、現実とはいえない、しかし私の肉体の内部で起きた出来事のほうが、目が覚めた後、肉体の現実が新たに始まった後で、現実味を増す。だから新たな現実を歩もう。他の人がどう見ているかはわからないが、すべて整合性が取れいている。すべてのものはあるべき場所に収まっている。あらかじめそうでしかなかったように。夢と現実には差があると皆がいうが、現実を夢に近づけようとするのではなく、夢を夢として現実にすれば良いだけではないか。その差は乗り越えられる。夢は現実から生まれてくるのだから。子どもの時の記憶。大人になってからの体験。すべて等しい。夢として。現実として。そこに境はない。