村橋貴博「DOROTHY」

UTRECHT2020121日〜1213

現代作家画廊個展

鑑賞日:128日(火)


そこに在る。手を伸ばして触れる。触れたかのように扱う。そこにあまり差異はない。なぜなら触れたという感覚が、その後の展開を支配するからだ。全体は触覚によって形作られる。その形式がどこかで見たことがあるようなものだとしても、あくまでもその見たことあるものは、容れ物でしかない。なぜなら、その容れ物には容れ物以上の意味はないから。手にしたものを組み合わせる。そして、姿が現れる。現れたものはどこかで既に出会っていて、そして、未知の姿をしている。そこに在るのに、触れることができない。既に触れているというのに。無いと在るの狭間に存在するために、容れ物が必要であり、容れ物は容れ物にしかすぎない。触れているのは、在るものなのか、容れ物なのか。いや、確実に在る。今この手の中に。それを形として見せよう。形にはメッセージはなく、形でしかないことを、示すために。