カール・アンドレ

TARO NASU202011 28 日〜12 26 

現代海外作家画廊個展

鑑賞日:122日(水)


まず単位について考えよう。単位とは、構成要素の最小限となるもののことだ。ここに一枚の鉄板がある。鉄板と「鉄板」という言葉と、どちらを単位にすべきか。一枚の鉄板は、サイズも重さも、その組成においても、単位となるには、付属の情報が多すぎる。というか、単位と認識するために分析していくと、結局は特殊な物体としてしか認識し得ない。単位となるには、抽象性が必要であることは誰もがわかっているはずだが、鉄板を見て、鉄板としか認識しない。では、言語は。その単位は、文字であり単語であり、語句となる。そして、それらは分解可能なものとしてある。最小単位と見做される文字、アルファベットの一文字でさえ、形と音に分解される。単語が崩れた時に。過剰に連鎖した時に。なにが崩れるのか。それは認識の方法だ。言葉が崩れた時に湧き上がる知覚。その対象と認識する側との境界がなくなる状況、それを具体、具と体が一致した姿と呼ぶのか。