掘りだされたときIII 小川待子

中長小西、2020710日〜722

現代作家画廊個展

鑑賞日:717日(金)


土を掬う、手の形に。握って固める。それもまた、手の内側の形。手は土と共にあり、土は時間と共にある。土の時間を確かめるために、何ができるか。手の形の意味をもう一度考える必要があるだろう。それが土の意味でもあるのだから。土と手は一体化し、私は時間になる。そして、時間と共に変化する。形を変え、最後は土に還る。土のなかで考えよう、私の存在を。本当に私はいるのだろうか。私が考えているのではなく、土が考えているということもあり得よう。土の時間のなかに埋没をする、その心地良さ。本来の姿に還るために、もう一度土を掬い、私の姿を探す。手はもう形を作ることはできない。手の時間と土の時間の差が開き過ぎている。ならば、手を放棄し、土に委ねよう。何を。私をか。土は、土でしかない固有の時間を持っている。私はそこに介在することはできない。ただ土を土として、手で掬うのみ。