ヒュー・スコット=ダグラス展

栃木県立美術館、2016年4月16日〜6月19日
海外現代作家個展、単独開催
鑑賞日:4月20日(水)

目の前にある事物を認識するとき、その事物は言語としても現れる。その言語は、シニファンとシニフェの結びつきが曖昧なのではなく、確固として分離した物体や画像として存在する。それでもその事物は言語としての強固な存在を主張する。ユニットの連なりとその変化は、繰り返されるという構造と、そこから成立する全体と明示する。その際にも、部分は部分として完結し、かつ、全体を構成する役割のなかにある。その部分もまた、言語としての役割を持たざるえないものではあるが、しかし、そこで示されているものは無であり、また、全体が示すものも無でしかない。完全な無であることによって、部分と全体は等価であり、そして物質が目の前にある。
その物体や画像を比喩として捉えることものも可能ではあるが、その比喩は、一瞬の関係性以上の意味を持ちようがないので、成立しない。目の前の物体や物事に意味を求めることと同様に、そこには意味が存在しないことにしか気づくことができない。
では、そのような存在を人の死や、網膜上の光の痕跡と呼ぼう。そう呼びかけることで、なにかが解消されるならば。兪という機能を失った、言語の死が、そこに在るのだから。