わたしの穴 美術の穴

スペース23℃、2015年4月3日〜4月26日
現代作家画廊グループ展
鑑賞日:4月25日(土)

太古に祭事の場として共有されていた穴は、現代においては別の形態へと移し替えられている。それは物理的な穴という形はとっておらず、もしかしたら物理的な実体をもはや持ち得ない場であるのかもしれない。その時に穴は、どこに存在するのか。穴はなぜ存在しなければならないのか。1人の人間に適した容積のみを保持した穴は、人間1人が入ることによって充足し、穴として機能しなくなる。それは穴ではなく、人の体積としての影になる。しかしその穴は、抽象化されているがために、私有できないものとなっている。なおかつ、共有もできない。その穴は誰のためのものでもなく、穴としてかつて存在したものとなる。公共の穴は共有されることもあれば、私有されることも可能となる。しかし私有であるかのように発生した穴は、その制作者によってもう所有されることはない。穴は所有された時点で、穴ではなくなり、別の表象を帯びることとなる。有することの不可能性という完全なるヴォイドが充満した穴に身を沈め自らヴォイドと化す。その時に見上げるもう一つに空虚は、何の表象として存在するのか。