彫刻家 長澤英俊 特別対談ーー見えない存在−何もしないということ

イタリア文化会館、2015年3月28日
現代作家講演会
鑑賞日:3月28日(土)

グローバリズムの中心である資本主義を生み出した近世イタリアに住まうからこそか、芸術を社会と隔絶させるために芸術家はいると、自己定義する。その芸術作品も実は資本というパトロンなしには存在しないことを痛切に感じていながら、その資本の枠組みを超える、すり抜ける、ことができるのは、資本を産み出さないということを産み出す役割としての芸術家だけなのだろうか。その通路をイデアといい、神を超えた真理だからこそ非論理、非西洋論理でしか語られない。解決のつかない命題をあえて設定し、解答にはなりようのない、解らしき形体を提示する。その根拠となるものなど何処にもないことを芸術家は熟知している。しかし理解者は必ず現れる。それは芸術が本質的に解答にはなりようがなく、無限の問いの生産だからか。しかし、イデアというある設定を拠り所として個人の一時の感情の発露ではなく、その方便によって歴史と自らを結びつける、その歴史が民族史ではなく、世界史、もう一つのグローバル・スタンダードであることを標榜することで、設定としてのイデアは完成する。