辰野登恵子 版画展 - 1982 – 2012 -

シロタ画廊、2023114日〜128

物故現代作家画廊回顧展

鑑賞日:117日(火)

 

手の先が訓練から解放される。訓練は自分で課したものであり、強制ではなかったはずなのだが、俯瞰してみると強制ではあったのかもしれない。もちろん自分で選んだことであり、その訓練によって培ったものは大きく、腕のなかに記憶されてはいる。だからこそそこから解き放たら開放するということは、不安であり、困難に満ちたものだった。その不安を救ったのが、手と指の先に、それまでとは異なる反応を示す支持体だったと、今は振り返ることもできる。描きたいものが描けないなかで、なにを描くべきなのかを、描きながら確認する。それが成功なのか失敗なのかは、後日他者が判断するだろう。踏み出さない限りは始まらない。自分の内側を統制しつつ発露させる。そこから生まれた線を、自分で見つめ直す。線が線を生み出して絡み合う。過去の線を否定しているのではないが、新しい線はまったく異なる様相を見せていく。しかし手の動きは自覚しても、その線がどのように現れるかは知らない。知る必要もないのかもしれない。線は自ら発現するだろう。