磯崎新の謎

大分市美術館、2019927日~1124

現代建築家美術館個展、単独開催

鑑賞日:927日(金)


首謀者は姿を見せない。なぜなら彼/彼女は、かつての廃墟になかに冷たく横たわっているから。彼/彼女自身が廃墟であると言ってもいい。それはすべてが破壊され死滅した世界であり、そこに再生の道はない。そこで鏡によって反転する通路を経て、仮初めの生の姿を得る。しかし、その姿は人の目には映らない。視覚と聴覚の更新を駆使して、認識の変更を迫る。それは自らの存在を知らしめるため。姿なき自らの存在を感知して欲しいがために、人々の認識を操作しようとする。だが残念なことに、その試みが成功したことはない。微かに感知しその姿を捉えようとした者が、確かにいたことはあるが。しかし、不在という存在に辿り着くことはなかった。そこには決定的に欠けている感覚があるからだ。触れること。接触によってその存在を確認し、接触が途切れることで、その不在を確認する。触れることがなければ、それは観念的な認識の問題に過ぎない。触れることを視覚的、聴覚的に表現するには、生の内側の衝動、生理に響かせるしかない。しかし廃墟からは生の鼓動を聞くことができない。

空間へ (河出文庫)

空間へ (河出文庫)