高松次郎ミステリーズ

東京国立近代美術館、2014年12月2日〜2015年3月1日
現代物故作家個展、自主企画
鑑賞日:2月18日(水)

認識し得ない何かを認識するために、今現実に認識できないものを手掛かりとして思考を開始するそれは認識できてしまっているものなのだが、目の前に物体であり現象として現れたものを、もう一度認識できない領域へと押し戻す。今見ているものは、それが何かを簡単に言い表せれば表せられるほど、複数のレイヤーを取り払いそのものだけになればなるほど、不可視になるということだ。しかし、物体も現象もそこにある。しかも、その手を施したのは自分自身である。私の所作が、世界の構造を暴き、世界を遠ざけていく。暴かれた構造は、元の世界の一部ではなく、元の世界のありえたかもしれないもう一つの姿にしかならない。それはパラレルに存在するのではなく、ねじれた世界の姿なのだ。そのねじれた世界から、この今の世界を照射した時に、今の世界には見ることができない、存在も確かではない世界の姿が立ち現れる。奥行きのない世界の微妙な押し引きの狭間に揺れ動き、認識すると同時に埋没する。そのある姿を姿として取り出したところで、その姿は実像でも虚像でもない。それを何かと命名することを拒否し、しかし命名されるのを待ち続ける状態に、世界との関係を宙づりにする。認識し得ないのはその絶対的根源性のためではなく、すべてが背後を持たない表層でしかないから、視線は常に通り過ぎてゆくしかない。

不在への問い

不在への問い