遠藤利克 空洞説ー円い沼

秋山画廊、2015年2月2日〜2月28日
現代作家画廊個展
鑑賞日:2月19日(木)

溜まり。ある運動がかつてあった徴として、物質が凝縮し、その場に存在する。空間に、ではなく、溜まりが存在するのは、場でしかない。その運動は、発生を基本とし、満ちていくものであり、空間を充満させるものであったのだろう。その運動が止まったことを過去のものとはせず、止まったということに対する留保の現れとして、物資は溜まる。その溜まりから再び運動が発生するかは、誰も知らない。その溜まりが枯れることになるのかも、誰も知らない。溜まりは運動のエネルギーを自らの内部に秘めているかどうかも関知せず、発動の機会も求めず、時間とともにある。変化を受け入れるも、変化を望むものではない。その重厚で、しかし硬質ではない、臭いと質感で微視と巨視を往復させる構造物のなかに深く沈む溜まりが、光を反射させつつ下方へと視線を引きずり込む。