佐藤研吾展ー囲いこみとお節介

ときの忘れもの、20181213日~1222

現代建築家画廊個展

鑑賞日:1219日(水)


なんでもない光景とは、どこにあるのか。その光景には、いくつもの物体が点在し、空間をかたち作っている。それぞれの物体は、それぞれの理由で成り立っており、それぞれの理由で配置される。そこには時折、外部から異質なものが紛れこむことがあるが、だからといって空間が、光景が乱されることはない。そこに存在しているすべてが、異質だからだ。異質なものが共存するからこそ、それらは響き合い、空間は、生き生きとした、なんでもないものへとなる。すでに異質なもので満ち溢れているのに、さらなる異質なものを作り出し、追加することは可能なのか。その物体とは、どのような姿をするのか。そして、なんでもないとはどういうことか。それは人と強く結びついていることだろう。なぜなら、光景のなかで、人が最も異質な振る舞いをするからだ。人は空間に新たな秩序を与えようとする。しかし、新たな秩序があるものは、なんでもないものではない。それは何かになってしまう。しかし、人の存在を基点に、秩序を持たない物体を創造するしかない。なんでもない世界の秩序の原型として。