奥田栄希 /悲しいゲーム展

2015年10月17日〜11月21日、Takashi Somemiya Galleryy
現代作家画廊個展
鑑賞日:10月17日(土)

ルールを破壊することによって崩れるのは自分自身。その崩れを崩れとして認識し、その崩れのなかに再生を願うのではなく、崩れ自体を自己として引き受ける。崩れには崩れる前にルールと崩れるためのルールがあり、崩れるためのルールこそ必然として存在する。崩れる前のルールは恣意的なものであり、崩れるルールは、ルールとして自律的なものだからだ。その自律性によって、崩れは自らを崩壊する。その崩れを認識し、把握し、現象として捉えることによって派生するもの。しかしそれは現象なのか。予測を超えた崩れの姿に、新たな価値を与えるではなく、崩れもまた現実の一つ現れとして定着される。プログラムによって無限に崩れるものは、その恣意性のため、新たな崩れを引き起こす。その新たな崩れは、崩れそのものに作用し、崩れというものを現象させる行為を破綻させる。その破綻はルールの創出となる。