中原浩大 Drawing 1986-2012 コーちゃんは、ゴギガ?

伊丹市立美術館、2012年9月22日〜11月4日
現代作家個展、単独開催
鑑賞日:10月28日(日)

芸術を表現することが芸術表現である。表現した結果が芸術作品と化するのではない。また、芸術家の行為が突如神性を帯びて芸術が産みだされるのでもない。芸術というヴィジョンをとらえ、表現することが芸術家に課せられた使命だとしたら。芸術を発生させる装置としての芸術作品という思考形態が産まれる以前、かつて信じられていた芸術の姿に戻るしかないのだろう。しかし、そのかつての芸術の姿は、あくまでもかつての姿としてある。現代の芸術の姿を、仮に別の姿で表すとしても、それが仮の姿であることもはっきりとしている。さらにいうならば、仮の姿は、現代の芸術の姿なのだろうか。
芸術をなにかの姿を借りることをせず、直接、平面上に線と面と色彩で、もしくは立体物を構成して、さらには自然物を直接取り出すことで、表現する。表現されたものはほかのなにものでもない。それは芸術家の、もしくは視るもののある特殊な状態(芸術が誰かの状態に関することとするならば)の現れとなるのか。鷲掴みに、かといって、非常に繊細な手つきで芸術を提示する。それぞれの作品は、それぞれの掴み方であり、それぞれの芸術の姿でもある。そしてそれらの作品は、この世界のあらゆるものと区別されている。唯一にして、比喩を受け入れる余地すらない世界の姿。絶対的な孤独として現前するほかに、存在の様式がありえない。孤独を知ることができうるのも、孤独自身でしかないのかもしれない。その鷲掴みにする手を、そっと芸術へと差し出す。その手にはもう自分が掴むべきものが見えている。

オトデイロヲツクル

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