磯崎新ーー都市ソラリス

NTTインターコミュニケーションセンター、2013年12月14日〜2014年3月2日
現代建築家個展、自主企画単独開催
鑑賞日:3月1日(土)

人が存在しない都市の姿が、人の擬態としての構造物によって立ち現われる。より正確にいえば、人という存在は、仮の物理的な肉体としてプログラムされ、人々の個別性についての情報は特殊解として排除され、微かな思念のみが漂うことが前提となっている。否。それこそが人間の再生であり、都市に住む市民として生まれ変わるための手続きに他ならない。人の擬態としての表象されているはずの構造物を形作る原理は一つしかなく、それは物理的な肉体を制御するルールが、一つしかないことを表明している。しかしながら、構造物の外観に見られる違いほどにも、人々に違いはない。なぜなら、その構造物を支える土地に歴史があったとしても、人がその歴史と別の原理で動いているからだ。思念は土地の歴史に関与されない。歴史を情報と読み替えた経済活動が都市の実態として振る舞ったとしても、その都市に人は存在しない。人は都市を覆すことを目指しての転成を準備するために、幻影としての都市を目の前、足元にして、永遠の不在を余儀無くされる。放棄による蜂起も潰えた後の眠りか。死んだふりか。そもそも始めから、人は存在しないのか。幻影を実体化させるための呪術を執り行う祈祷師が隠れ込む構造物もまた、祈祷の擬態として、その正当性を顕示する。

海市―もうひとつのユートピア

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