中原浩大 自己模倣

岡山県立美術館、2013年9月27日〜11月4日
現存作家個展、自主企画単独開催
鑑賞日:10月29日(火)

感覚するということは何かということを、具体的に感覚するために、感覚を発生させる状況をプログラムする。プログラムによって拡張されるだろう感覚を予測し、作品は設計される。プログラムはプログラムでしかなく、作品は作品にしかならない。作品を観る人の感覚はプログラムしようがない。作者のプログラムと作者の作品は、拡張された感覚のキワ、感覚がまとった皮膚で接する。身体性が拡張されるのではなく、感覚器官のみが複製され膨張され、さらに異物化し、感覚するという行為、現象のみが、その感覚した後の抜け殻としての形態をとどめる。その抜け殻に充満された感覚の質量は、抜け殻に収まらず、溢れ、新たな皮膚を形成する。この抜け殻の空洞を満たすものを更に手にし、増やし、詰め込むために、ある時間をプログラミングに費やし、プログラムの自動生成の成り行きを観察する。私は誰にプログラムされたのか。私は誰をプログラムしているのか。抜け殻に充満するものとしか知覚し得ないものを、形態へと変換する行為を、私以外の何者かがいつどこでプログラムしたというのだろう。