わた死としてのキノコ 今村源

静岡市美術館、2013年8月6日〜10月27日
現存作家個展、自主企画単独開催
鑑賞日:10月26日(土)

自立するが自律していないのか。自律するも自立しないのか。私はどの世界に存在しているのだろう。私をどこかに存在させ、立たせているーー倒立も立ち姿のバリエーションーようにみせるものは何か。世界は隙間だらけで、その隙間こそ世界のかたちか。その隙間に身を寄せて、寄りかかり、世界が私に寄りかかり、私は辛うじて、立っているという姿を保つ。きっと自立も自律も存在しないのだろう。私の発芽は、私とは関係のない他の条件が規定する。私の発芽する場所も、私とは関係のない他の条件によって規定されている。私は私の状態が整った時、それがどこであろうと成長を始める。その成長の先も、私は知らない。しかし、誰が知っているというのか。世界に隙間があることに気がつかぬまま、多くの物事が立っている素振りを見せる。隙間の世界の住人にとっては、すべてが転倒している。それでも隙間の世界は正体にならない。隙間の世界の回転は、常に横回転。

わた死としてのキノコ

わた死としてのキノコ