アンドレアス・グルスキー展

国立新美術館、2013年7月3日〜9月16日
海外現代作家個展、新聞社共催国内公立館2館巡回
鑑賞日:7月28日(日)

現実の不条理さをより現実的に提示する際の、現実に属しながら現実を「超」えていると認識させるものを何に求めるか。遠近を作り出し、濃淡をつけ、見たいものにしか焦点を合わせない、現実の身体が認識する世界は、常に恣意的に切り取られ、時には捏造され、さらに忘却される。その世界をより現実感を持った捏造の余地のない絶対的なものとして定着させるために、切り取られ写し出された世界の画像を操作する。世界の部分に忘れるべきものがないことを示すために、部分は繰り返される。部分と全体は同じ価値を持つから、すべてが明確な輪郭線と同じ情報量を持たなければならない。繰り返すことで全体に情報を満たしていくことと、部分が希薄な全体像を均一な情報として定着させることは、等価だ。繰り返しが伝えるべき情報の欠落を表すことと、そう提示されなければ認識することができない細部の微妙な差異にしか情報の価値がないと言い切ることは、等価だ。
視線を送るべき細部に充満した巨大な画面は、現実の物体を転化したものではなく、現実の物体が持つ情報を均等に定着させたものとなる。しかも情報が均等であるという以外の情報を発生させない。写された対象に内在されているはずの情報は、画面全体という構造なき構造に埋没する。