難波田史男の15年

東京オペラシティ アートギャラリー、2012年1月14日〜3月25日
物故作家個展、単独開催
鑑賞日:1月15日(日)

紙の表面にペンを滑らす。その接点に現れるインクの跡、滲み。次第に形を成し、崩れる形体。その現れを生成と呼ぶのだろうか。それはある形体、フォルムと認識できるもの、それ以前の名づけられないもの、が生まれる、成るということよりも、そのペンを滑らせる衝動の産物と見るべきではないだろうか。思考の発露よりも手の欲望。欲望は思考にフィードバックすることなく、とどまることを知らない。紙との接点、その微かな手ごたえ、軋み、触感が、新たな欲望を生みだしていく。その欲望が、いずれ思考にたどり着いたときにペンは止まる。意識下の無防備なオートマティックよりも抑制が効いた表現に見えるといっても、ペンを持つ指先の振動に対する欲望は、フォルムを決定する思考より速い。ペンを絵筆に持ち替え、線から面へと現れの状態を違えたとしても、指先の欲望は変化しない。紙の上は形体が生成する場として機能する以前に、欲望を受けとめる支持体にすぎない。場で起きた出来事は、結果であって、そこから始まるものはもはやない。絵具の縮れ、盛り上がり、そして紙がペン先に抵抗してできた、微かな皺とけば立ち。作品は行為の物証として提出される。表面に現れた線の集合から読み解かれる軽やかな形体は、作者の欲望のカモフラージュとして機能するも、恣意的に認識された形体自身が孕む自己の解体のなかに、遅れて現れたかにみえる思考をも道連れにする、ある深さを持ってしまう。

終着駅は宇宙ステーション

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