顕神の夢ー幻視の表現者 村山槐多・関根正二から現代まで

川崎市岡本太郎美術館2023429日〜625

近現代美術テーマ展、公立美術館共同企画巡回

鑑賞日:61日(木)

 

幻を知覚していると、自覚する。現実ではないもの、状態、現象を、現実に存在するものとして。幻は、私の内部に発生するのではなく、外部にある。世界の一部として、私の周囲を日々構成しているものであり、遍在しているともいえる。だから知覚できる、と、私の内部は主張する。幻とは何かは、定義しようがない。瞬間に生まれ、消え去り、変わり続けるものだから。それがなんであるかを問うことは重要ではないのだろう。私が今、幻を知覚したという事実だけが重要になる。そして自覚していなくとも、だれかがそのように声をかけてくれる。あなたは幻に触れていると。そこでもう一度問いたい。幻とはなにかを。世界の断片ではないだろう。世界の全体像でもないだろう。それは、幻が常に断片でしかないものであり、なにかの全体像と結びついたものとして、形象化されるからだ。幻は世界の縮小模型ではない。世界の原理の顕在化としてある。私は私として生きているのではなく、世界によって生かされている。しかし、原理によって生かされているのではない。では幻とはなにか。